チェ・ゲバラとカストロの関係とは

キューバと聞けば、オバマ大統領の下で雪解けが起こった国として思い起こす人も多いのではないでしょうか。

そのキューバでは、理想主義者としてチェ・ゲバラという人物が有名です。

アルゼンチン生まれでキューバのゲリラ指導者である彼は、一体どのような人物だったのでしょうか。

ここではチェ・ゲバラとカストロとの関係について解説します。

スポンサーリンク
cheguevara-historyレクタングル大

チェ・ゲバラとは

チェ・ゲバラはアルゼンチンで生まれ、その後は幼少期に起こった喘息のためにコルドバに引っ越し、主にそこで育ちました。

通常は6年かかる医学部を3年で卒業して医師免許を取得し、グアテマラで出会ったペルー人社会主義者イルダ・ガデアと出会います。

その後メキシコに亡命してイルダ・ガデアと結婚し、そこでカストロに出会いって意気投合をしました。

その後25か月に渡るゲリラ戦に従事します。

カストロとは

メキシコ亡命中にチェ・ゲバラと出会ったカストロは、キューバの初代中央委員会第一書記で、平たく言えばキューバを社会主義に変えた人です。

1956年12月の戦闘時にはキューバのグランマ州に上陸し、攻撃を開始しましたが、総勢82人の兵士のうち64人が亡くなりました。

その生存者の中にチェ・ゲバラがいたと言われています。

彼の軍隊は1959年ハバナに迫り、大統領を亡命させることに成功しました。

カストロ軍はハバナを支配下に置くことに成功し、キューバ革命が成功したのです。

チェ・ゲバラとカストロの関係について

このように、チェ・ゲバラとカストロは一緒にキューバ革命を成功させた同志だったと言えます。

キューバ革命が成功し、カストロがハバナを支配下に置いた後はキューバの市民権を与えられました。

ともにキューバ革命を成功させた関係として知られています。

ただし、チェ・ゲバラは究極の理想主義者であり、その一方でカストロは現実主義者でもあったため、カストロはソ連と距離を狭めていきました。

これがチェ・ゲバラとカストロの決定的な違いとなり、その後は決別したと言われています。

まとめ

いかがでしょうか。

チェ・ゲバラは日本の広島にある原爆資料館を訪問し、なぜこんな目に遭っておきながらアメリカと近しい関係でいたいのかと案内人に尋ねたことでも知られています。

私利私欲に振り回されることがなく、今も反体制のシンボル、キューバの英雄として知られています。

2009年にチェ・ゲバラの死後50年を迎えて行われた記念式典では、推定7万人が参加しました。

今でもキューバ国民に愛される人物として、広く関心を集めています。

スポンサーリンク
cheguevara-historyレクタングル大

cheguevara-historyレクタングル大

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする