チェ・ゲバラと結婚生活について

キューバの革命家、チェ・ゲバラの肖像は今でもシャツのデザインなどに利用され、多くの人に知られています。

彼は多くの人に慕われており、今でも人気が絶えない人物で、あの有名な音楽家ジョン・レノンにも「世界一格好いい革命家」と評されました。

そんなチェ・ゲバラの結婚生活は一体どのようなものだったのでしょうか。

ここでは27歳で結婚したチェ・ゲバラの結婚生活についてポイントをまとめてみました。

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イルダ・ガデアとの出会い

アルゼンチンのブエノスアイレス大学医学部に進学し、6年かけて終わらせる過程を3年で終わらせたチェ・ゲバラは、政情が不安定なアルゼンチンで医者になることに乗り気ではありませんでした。

フアン・ペロン政権下での軍医は避け、その後2度目の南アメリカ縦断の旅に出かけ、ボリビアで農業改革などを目にします。

そこで強く、南アメリカはアメリカ合衆国に不当に搾取されており、その支配から逃れなければいけないと考えるようなりました。

その後グアテマラでペルー人社会主義者、イルダ・ガデアと出会い、その後メキシコに亡命して結婚したのです。

アレイダ・マルチとの出会い

しかし、イルダ・ガデアとの結婚生活は4年しか続きませんでした。

チェ・ゲバラはイルダ・ガデアと正式に離婚する前年の1958年、ゲリラ戦の最中にアレイダ・マルチと出会います。

彼女はゲリラに軍資金を届けるようにと言われ、上半身に絆創膏でお金を隠し、チェ・ゲバラに届けました。

チェ・ゲバラが骨折をした時はアレイダ・マルチが黒いスカーフを使って手当てをし、そのスカーフはチェ・ゲバラが亡くなった後棺に納められたと言われています。

離婚と結婚

チェ・ゲバラの最初の妻、イルダ・ガデアがアレイダ・マルチの存在を知った時、彼女は「男が他の女との恋に落ちたら、妻ができることは他にない」と離婚を快諾したと言われています。

再婚時期は革命の再建期と重なり、チェ・ゲバラは国立銀行総裁と工業総裁を歴任しました。

日曜日の仕事がない時は農園などに行き、労働者たちを激励していたと言われています。

また、アレイダ・マルチとの間には4人の子供をもうけ、子供たちともよく遊びました。

アレイダ・マルチは後に回想録で、「私たちは会と夢と希望に満ちた男と女だった」と述べています。

まとめ

いかがでしょうか。

2度の結婚を経験したチェ・ゲバラは非常に情にもろかったと言われており、妻たちを本気で愛した男性とも言われています。

アレイダ・マルチへの最初のプレゼントはフランス製の香水でした。

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