アルゼンチン生まれの政治家、チェ・ゲバラとはどのような人物だったのか

チェ・ゲバラは南アメリカの中でも特にキューバで有名なため、もしかしたらキューバ人だと考えている人もいるのではないでしょうか。

実は彼はアルゼンチン出身の革命家です。

ベレー帽と軍服を着用した姿はとても有名であり、今でもシャツや壁画に描かれていますね。

そんな彼は一体どのような人物だったのでしょうか。

ここでは、チェ・ゲバラの人物像について紹介します。

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アルゼンチン出身の医者

チェ・ゲバラはもともとは医者でした。

アルゼンチンでペルー副王の末裔として生まれ、経済的には恵まれた家庭で育ちましたが、彼は2歳の時に重度の喘息と診断され、その後療養のために各地を転々とします。

アルゼンチンのブエノスアイレス大学医学部に進学し、6年の過程を3年で終わらせましたが、医師免許を取得した後もどうしても政情が不安定なアルゼンチンで医師になる気にならなかったと言われています。

反乱軍に参加

そんなチェ・ゲバラは卒業後、再度オートバイで南アメリカ縦断の旅に出ます。

そこで鉱山労働者やハンセン病患者と出会い、社会的弱者に関心を持つようになりました。

ボリビアの農業改革を見て、アメリカの支配から脱しなければ平和は訪れないと強く願うようになり、徐々にマルクス主義に傾倒していったのです。

そんな中、彼はメキシコに亡命していたカストロ兄弟に出会い、強く影響を受けました。

そしてカストロ率いるキューバ反乱軍に軍医として参加し、バティスタ政権を打倒するためにグランマ号と呼ばれた7人乗りのレジャーボートで総勢82名がキューバに密航したのです。

マルクス・レーニン主義者

社会主義と言っても世界には様々なものがありますが、チェ・ゲバラは極めてマルクス・レーニン主義に忠実な社会主義思想の持ち主でした。

ソ連型の社会主義を真っ向から批判したことが、カストロとの決別の原因になります。

また、市場経済化を図る中国の共産党やベトナム共産党とも違い、キューバの共産党はチェ・ゲバラが求めていたように、極めてマルクス主義に近い形態を取っています。

さらにチェ・ゲバラは1959年に日本の広島を訪れ、原爆の後遺症に酷い衝撃を受けました。

彼の影響を受け、彼の娘のアレイダも2008年に広島を訪れています。

まとめ

いかがでしょうか。

チェ・ゲバラは社会主義者でありながら、今も多くの人に慕われています。

私利私欲にまみれず、日曜日もボランティア活動として農場などで労働者と働き、工場の労働者を激励したと言われています。

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