チェ・ゲバラの生涯の最後はどのようなものだったのか

今でも圧倒的な人気を誇る革命家、ゲバラという人物を知っているでしょうか。

あの偉大な音楽家、ジョン・レノンも「20世紀で最もかっこいい革命家」という評価をしており、彼の顔は今でも記憶のあちこちで見られます。

シャツのデザインにもなっていますし、壁画のデザインとしても愛されています。

そんな絶大な人気を誇るゲバラのどのような最後を迎えたのでしょうか。

革命家としての生涯を送った彼だからこその最後を解説します。

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支援を失う

1965年、ゲバラはコンゴ民主共和国に向かいました。

しかし、動乱の後いまだに混乱が続いている現地では兵士たちの士気が低く、ゲバラは落胆します。

しかし喘息を再発させ、情報当局に匿われながら潜伏したものの、最終的にはキューバに帰国しました。

その後はカストロと会談し、新たな革命の場所としてボリビアを選びました。

アルゼンチン、パラグアイ、ブラジル、チリ、ペルーに連絡組織が形成され、ゲバラはウルグアイ人に変装して現地に行くのです。

しかし、あまりにも自らの革命議論に固執してしまったため、ボリビア共産党からは理解を得ることができず、さらにカストロからの援助も滞ってしまいました。

すでに革命によって土地を入手した農民たちはあなたは革命に興味を持たず、彼は支援がないまま前進していかなければならなかったのです。

逮捕と処刑

1967年10月8日、20人程度のゲリラ部隊と共に行動していましたが、ゲバラはアンデス山脈にて、政府軍の攻撃を受けて逮捕されました。

7キロほど南にあるイゲラという村に連れて行かれ、小学校に収容されたと言われています。

翌朝、CIAのフェリックス・ロドリゲスが午前10時、ゲバラを殺せという意味の暗号「パピ600」という電報を送ったことにより、午前0時40分、彼の処刑が始まりました。

しかし、首の根元、右足の付け根、左胸に銃弾が命中してもまだ命を落とさず、最後は心臓を撃たれて死亡しました。

その後は両手首を切断され、無名のまま遺体が埋められたのです。

「落ち着け、そしてよく狙え。お前はこれから1人の人間を殺すのだ」「お前の目の前にいるのは英雄でも何でもないただの男だ。打て!」が最後の言葉であったと言われています。

帰国

1997年、9話とボリビアの合同捜索隊がボリビアの空港滑走路の下でゲバラの遺骨を発見しました。

死後30年経っていましたが、それらはキューバの遺族のもとに送られることになりました。

ボリビアでもゲバラは英雄として扱われているため、ボリビア政府は遺骨の扱いなどを内密にしておきたがったと言われています。

キューバではゲバラが帰国する週間というものが設けられ、その遺骨を墓に送る列には多くのキューバ人が集まりました。

さらにカストロは長々とスピーチをすることで知られていますが、このときのスピーチは非常に珍しく、簡潔だったと言われています。

激動の生涯を送ったゲバラは、このようにして愛するキューバに帰っていったのです。

まとめ

いかがでしょうか。

ゲバラの生涯は非常に戦闘に満ちたものであり、彼は本当に理想を忠実に追いかけた人物でした。

今でも南アメリカを始め、第三世界では絶大な人気を誇っています。

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