チェ・ゲバラがソ連型共産主義を批判した理由とは

革命家チェ・ゲバラと言う名前をきいたことがあるでしょうか。

彼はカストロと共にキューバを社会主義にした人物であり、今でも多くの人に慕われている人物でもあります。

もともとアルゼンチン出身の医師でしたが、政情が不安定な状態のアルゼンチンで医師になる気になれず、カストロに共感し、カストロ率いる反乱軍の軍医になりました。

そんなチェ・ゲバラは社会主義者ではありましたが、ソ連型社会主義のことを痛烈に批判していました。

それはなぜなのでしょうか。

ここでは、チェ・ゲバラがソ連型社会主義を批判した理由について解説します。

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アメリカに反発

この頃、南アメリカはアメリカ合衆国を初めとする資本家たちに搾取されており、チェ・ゲバラはアメリカの支配から逃れなければならないと強く感じていました。

キューバ政府は国内のアメリカの資本を没収し、チェ・ゲバラ率いる使節団はソ連や中国を訪問して無利子の借款などの約束をします。

それに対して焦りを感じたアメリカはキューバ国内で反乱を起こさせ、キューバ政府を徐々に窮地に追い込んでいきました。

キューバ危機

1962年、ソ連とキューバはキューバに核ミサイルを配置することを決め、そこでキューバ危機が起こりました。

アメリカの反撃を懸念し、キューバ国内でゲリラ戦の準備が行われたのです。

第三次世界大戦さえも懸念させたこの事件により、キューバの経済は更に窮地に追い込まれて行きました。

チェ・ゲバラはそんな中においても世界を回り、第三世界から人気を誇っていました。

ソ連を批判し始める

そんな中、彼は徐々にソ連の批判を始めたのです。

ソ連は確かに社会主義国家としてキューバの味方をしているかのように見えましたが、チェ・ゲバラの目には実質的には支配しようとしていたように映ったのでした。

しかし、当時のキューバはソ連の援助を受けなければ経済的にやっていけない状態であり、これがカストロとの決別の要因になったのです。

当時、ソ連の援助は大きく、それを批判したゲバラは徐々に国内で居場所を失ってしまったのです。

まとめ

いかがでしょうか。

ゲバラは確かに、最初はソ連の援助を重視していましたし、その力を認めていました。

しかし、大国であるソ連がキューバの脅威に見えてしまい、それがゲバラの地位を失墜させたきっかけでもあったと言えます。

しかし、彼はもともとキューバ革命の後はキューバで生活するつもりはなく、別の国に行くことを決めていました。

そのため、カストロのとの決別はあまり苦ではなかったとも考えられています。

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