チェ・ゲバラの死因とは何か

革命家チェ・ゲバラと言う人物を知っているでしょうか。

キューバは社会主義に導いた人物であり、その肖像画はシャツや壁柿も使われて、きっとチェ・ゲバラの肖像画を見たことがないと言う人はいないだろうとも考えられています。

そんなチェ・ゲバラはゲリラ戦争を導いた人物ですが、その死因とは一体何だったのでしょうか。

革命家は壮絶な最期を迎えると言うイメージを持っている人もいるかもしれませんね。

ここでは、チェ・ゲバラの死因について解説します。

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ボリビアでのゲリラ戦争

キューバ革命の後、チェ・ゲバラはボリビアを新たな革命の舞台として選びました。

ボリビアと言えば、彼がブエノスアイレス大学の医学部を卒業した後、南アメリカを縦断したときに訪れた国であり、アメリカの搾取から逃れなければいけないと強く感じた国でもありました。

しかし、いざボリビアで革命を起こそうとすると、ソ連を敵に回していたチェ・ゲバラの味方があまりおらず、さらに農地改革によってすでに土地を手に入れていた農民たちはチェ・ゲバラの味方をしなかったと言うことにより、彼は苦戦を強いられることになります。

鉱山労働者たちはチェ・ゲバラを支持ましたが、政府軍が労働者を制圧したことにより、チェ・ゲバラは支援を失ったのです。

逮捕

1967年10月8日、チェ・ゲバラは20名前後のゲリラ部隊とともに逮捕されました。

そこから7キロほど離れたところにある村、イゲラに収容され、翌朝はCIAのフェニックス・ロドリゲスが午前10時、「チェ・ゲバラを殺せ」と言う旨の電報を受信します。

ゲリラ部隊を指揮していたシメオン・クバ・サラビアが最初に銃殺され、その後チェ・ゲバラも中で打たれましたが、左胸、右足の付け根、首の根元打たれてもまだ命があったため、最終的に他の兵士から心臓を撃たれて死亡しました。

これがチェ・ゲバラの死因です。

その後は両手首が切り落とされ、埋められました。

ゲバラを射殺を躊躇した兵士に対しては「落ち着け、そしてよく狙え。お前はこれから1人の人間を殺すのだ」と述べたことが今でもよく知られています。

死後の帰国

銃殺され、無名の遺体として埋められたチェ・ゲバラですが、死後30年後、ボリビアの空港滑走路の下で遺骨が発見されました。

その遺骨は家族が待つキューバに送られ、遺骨がキューバに到着したときには多くの国民が集まったとされています。

ボリビアはチェ・ゲバラの遺骨がどこにあったのか伏せておこうとしましたが、関係者が口を開いたために場所が明らかとなりました。

遺骨は霊廟に葬られ、いつもは長いと批判されているカストロのスピーチもこの時は簡潔でした。

まとめ

いかがでしょうか。

チェ・ゲバラの死因は銃殺と言うことになります。

もともと常に死を意識していた人物ですが、自分を処刑しようとする兵士に向かって発した言葉は「勇気がある」の一言では言い表せないものがありますね。

チェ・ゲバラは今でも多くの人に愛されています。

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